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愛知歴史探訪🖌 家康編2+???編
皆さん、こんにちは。
都タクシーブログ担当のノロです。
この歴史探訪をやっていて、いろいろ、武将ゆかりの地を訪ねてきましたが、
今回のブログの場所を訪れたときが、一番テンションがあがりました。
その理由は、あとあと……
さて、家康編の2です。家康は三河の生まれなので、三河地方にいろいろとスポットがあります。
先日、お話した岡崎城から一号線を豊川方面に向かった先に、今回のお話のスポットがあります。
法蔵寺というお寺です。
こちらは、幼少期の家康が手習いに訪れていたというお寺で、
それに使用した硯箱や硯石が残されているとのことです。
こちらには、家康の縁者の霊廟ものこされていて、
家康の父である、松平廣忠のお墓もこちらにあります。
さて、こちらには、武田に敗れた三方ヶ原の合戦の戦死者のお墓もあり、
そのなかには、文豪 夏目漱石の先祖にあたる夏目次郎左衛門吉信のお墓もあります。
三方ヶ原の合戦の際、家康の危機に駆け付けその身代わりとなって、武田の兵の前に命を落とした方です。
そして、さらに、私のテンションがあがったのが、こちら
新撰組局長、近藤勇の首塚です。
私は戦国よりも幕末の歴史が好きでして、京都に何回も通ったり
飛行機が怖いのに鹿児島にいったりした幕末バカなのです。
幕末に活躍した新撰組の近藤勇の首塚がなぜ、こんなところに?となりました。
横にしるされた立札を読んでみると
晒されていた首を同士が奪取し(どうやら、齋藤一らしい!)
孫空義天と言う方に供養を依頼したそうで、
義天の異動に伴って当寺に埋葬されたとかいてありました。
当初は世間の目もあったので、石碑は土で埋められ、無縁仏の様にしていたそうなのですが、後々に資料を読んだことで発覚して
首塚をたてたそうです。
いやあ、家康の歴史を追っていて、まさか、夏目漱石や近藤勇にまで結びつくとは!
これだから、旧跡や古刹巡りはやめられないのです。
もちろん、その際は、その地方のおいしいグルメも魅力ですよ。
さて、家康編、信長編とも、名古屋から離れておりましたが、
次回の家康編では名古屋にもどろうかなと思っております。
実は、名古屋にも家康ゆかりの地があるのです。
では、次回もお楽しみに。